478km直進!ナラボー平原を見て生き様を思い出す(3日目)

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1 ナラボー平原

2023年12月22日

おはようございます。列車の外を見ると夜が明けてました。ここはどこだろう、そうだオーストラリアにいるんだった。

そろそろ7時、朝食の時間なのでラウンジにやってきましたが誰もいない、みんな眠たいのかな?

ラウンジのカウンターに目を向けるとそこには現在西オーストラリア州パースの現地時刻で列車が走ってることを示すボードがありました。列車はまだ南オーストラリア州でしたが列車の時差は変わりました。ということで時計を2時間半巻き戻して自室で再び夢の中…。

気を取り直して再び食堂車へ。今回の顔ぶれはそれぞれ一人旅中の男性で向かいの方は長崎に行ったことがあるとおっしゃっていました。トマトジュースとシリアルを選びました。

メインの料理も頼みましたが周囲の3人が来てるのに私はまだ来てませんでした。実は重大なミスをしておりメインディッシュではなく一番下に書かれてるメインディッシュに含まれる付け合わせのパンしか頼んでないことに気づいてしまった。グーグル翻訳を使えばよかったですがなんせ過疎地帯を走ってるので携帯がつながりませんでした…。

ということで私だけ遅れてメインディッシュ到着。しかもこの時隣に座ってた方がなんと私の料理の到着を待ってくれてました。本当にすみません…。みなさん優しい方でよかったです。もっと英語を勉強します…。

自室に戻ると低い木が立ち並んでいてとてもいい風景。

9時ごろ、列車のデッキで左側に目を向けるとモニュメントがありました。これこそがインディアンパシフィックの最大の見どころ「世界一長い直線」の始まりの地点。その距離はなんと478km。正直これのためにこの列車に乗ったようなものです。

478kmを日本地図にあててみました。東京駅から直進すると山陽本線の「はりま勝原」駅まで全く曲がらず行くのに相当します。これはオーストラリアのような広くなにもない大地でないと無理ですね。地図のように線路をひくと…。

皇居、原宿竹下通り、サンリオピューロランド(キティちゃんの家)、河口湖、木曽三川、琵琶湖、京都先斗町公園、姫路手柄山中央公園

これらのところを突っ切ります。現在建設中のリニア中央新幹線よりもまっすぐ(笑)

窓の外にはどこまでも続く赤い大地。ここはナラボー平原と言って語源はラテン語のnullus(無い)+arbor(木)から来てます。私の住んでる埼玉は昔何もないと言われたことがありますがここの方が何もない…。

30分以上眺めてもまだこの景色。ずっとこの景色を見てたら小学校の時に本で見たオーストラリアの鉄道が広がっている。さらにいままでの人生について頭によみがえってきてつらいことを思い出すと涙が出てきました…。

10時20分、列車はクック駅に到着。このクック駅ではかつて大陸横断鉄道の蒸気機関車が給水作業をしてた場所で現在は鉄道メンテナンス関連のスタッフ4人のみがここに住んでいます。

この駅では周囲を散策できるので私は記念撮影。こんなに機関車を間近で撮影できて鉄道好きとしては感無量。係員が立っていて線路横断は禁止。機関車の上には警笛用のラッパが5つ。

朝食で一緒だった方が撮影に応じてくれました。横から見ると感じますが機関車が日本のよりでかいです。全長は22mでカシオペアや北斗星に使われてたものより4m長いのです。3軸の機関車の床下は面白くて見入ってしまいました。

機関車の先にはまっすぐな線路、ナラボー平原は平坦なので勾配というのもありません。本当にすごすぎる。

クック駅周辺には建物はわずかにあるのみで日本でいう秘境駅みたいなもの。列車の先頭から最後尾まで歩きましたが長さは800m以上!!暑かったのでちょっとした運動になりました。

2 昼食時に出会った親子

13時12分にクック駅を発車してここで昼食。塩漬けのカンガルー肉を含めていろんな肉が入ってました。この時一緒になった方はクィーンズランド州から来た親子で子供は14歳の女子中学生!!インディアンパシフィックでパースまで横断してそこで年を越す、かなりの長期休暇だそうです。インディアンパシフィックは富裕層向けかと思ってましたが親子旅で乗車かたもいるのです。

デザートはシナモンのアイスクリームでした。向かいに座ってた母はワインをよく飲んでてなんだかワイン好きな自分の母と重なってしまいました。14歳の子供と一緒に大陸横断、大きな国の国民は移動のスケールも壮大なのです。

私はあの親子を見た瞬間に14歳の時の自分を思い出し泣きました。当時学校で壮絶ないじめに遭い1日だけ不登校になった時期がありみんなから嫌われていました。そんな14歳の時に当時住んでた母と鉄道の日記念のきっぷで今は無き「ムーンライトながら」と各駅停車を使って京都まで日帰りで行ったことありその1か月後には祖父母もつれて4人で金沢まで寝台特急「北陸」に乗った思い出あります。つらい思い出もありましたが列車で親子旅したのは本当に楽しかったです。

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17時25分にアナウンスがあり夕食会場のロウリナに到着。世界一長い直線は途中で終わり曲がった時になんだか体が浮いたような感覚になりました。

このロウリナ駅では近くの会場にてテーブルが敷かれてそこで乗客全員でディナーを楽しむというもの。列車は全ての編成を通り抜けることはできないので会う顔ぶれもほぼ決まっていますがこの時は今まで一緒に食事をしたことがない人とも出会いました。乗客やクルーも合わせると300人ほどはいたと思います。あたりは暗くなってサラダや肉をはじめとする料理が運ばれて会話にも花が咲きます。向かいに座った女性と孫と思われる男の子からは「お名前は?」と聞かれました。日本語、上手!

テーブルの敷かれた会場は列車が間近に望めます。ミュージシャンによる演奏もあり盛り上がりは最高潮。その時シドニーで出会った方とも一緒になりそこで流れてきたのは「カントリー・ロード」。英語のだめな私でもこの曲だけは何度も聞いたので覚えてました。歌いだすとみんな一斉にハモリだして今までない一体感が生まれました。34両の客車は日本でも観たことがなく夜汽車に大人数が乗り自分史上今までにない体験でした。

食事で満腹になって列車でシャワーを浴びて就寝。

ところが私は夜明け前にふと目が覚めて気づいたら食堂車とラウンジに寝間着のままでいました(笑)夜行列車に乗るとなぜか変な時間に目が覚めるのはオーストラリアでも一緒でした。

その時一人のクルーが話しかけてくれてオレンジジュースを用意してくれました。鉄道が好きと話すと新幹線とブルートレインについての会話が始まり片言の英語で話す私の話を聞いてくれました。

ありがとう。この言葉を後にクルーは食堂車から自分の持ち場へ戻っていきました。夜の偶然な人との出会いも夜行列車のよき雰囲気かもしれません…。

次でインディアンパシフィックの記事は最後です。本日もご覧くださりありがとうございます。

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この記事を書いた人

埼玉県在住の乗り鉄です。2011年から日本の鉄道完全乗車を目指し、2022年に只見線で達成しました!ほかにも飛行機に乗るようになってJGCを取得、旅の移動は公共交通を利用します。

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