運賃1円!? 鉱山を走った電車を求めて北近畿へ行く

本日もブログをご覧くださりありがとうございます。今回の旅で訪問するのは兵庫県の北近畿で目的はもちろん電車。それも1円で乗れたという世界一やすい電車です。それではどうぞ!

目次

1 鉱山を走った1円電車

2023年9月30日

東京(21:50)→姫路(5:25) サンライズ瀬戸

兵庫へは新幹線という手段もありますがサンライズ瀬戸のノビノビ座席で行くことにしました。格安の座席ではあるものの満席に近くかなりの人気でした。この座席は走行するための機器が車両に搭載されているので音が少しうるさいかもしれませんがぐっすり眠れました。今回使いませんでしたがシャワーカードは東京駅の時点で売り切れるのでお早めに!!

2023年10月1日

姫路(5:55)→(6:35)寺前(6:38)→和田山(7:26) 播但線

おはようございます。サンライズ号は姫路駅に到着しましたが下りの到着駅で唯一放送がないので目覚ましは必須。播但線は写真にある赤い103系電車がメインですが今回は白の221系電車でした。播但線は寺前駅を境に和田山駅まで架線がないのでディーゼルカーになります。

和田山(7:36)→八鹿(7:58) 山陰本線

和田山駅で再び電車に乗り換えて着いたのは八鹿(ようか)駅。今回の旅をする上での拠点で写真の全但バスのターミナルでもあります。全但バス、なんだか自分が昔乗ってた高崎線の車両に色が似てる(笑)

八鹿駅(8:30)→明延(9:34) 全但バス

八鹿駅から1時間近くかけてやってきたのは養父市の明延。バスの景色をずっと見てましたが山奥でなにもありません…。目的はなに…?

1円電車

これが今回養父市の明延を訪れた大きな目的。明延地区には809年に開杭した明延鉱山があり一説によると奈良の大仏を作るために銅を献上したとも言われてます。その後は錫がメインとなって日本一の錫鉱山と言われて国内の錫の9割以上を生産するようになりました。昭和30年代は人口が4000人近くいて活気に満ち溢れてましたが金属価格暴落にともない1987年に3月に閉山しました。その明延地区は過疎が進んでますがそのシンボルとしてあるのが今回の目的の1円電車なのです。

その1円電車がこちら。明神電車と呼ばれて明延地区で採れた鉱石を東の神子畑選鉱場まで5.75㎞を鉄道で運びました。当初は鉱石を運ぶだけでしたが1945年から人を乗せるために写真のような客車をつないで運行が開始。運賃が1円だったのは「収入100円だから100人乗った」と乗車人員がわかるようにするためだったからなのです。鉱山閉山とともに役目は終えましたが2010年に動態保存がなされて復活。日曜日を中心に動いてます。

受付で1円電車乗車のため会費300円を払い入場。しかし中学生までは会費は1円!「1円電車」の名前の通り今も1円で乗れます。中学生以下であれば運賃は世界一安い(笑)

ちなみに運行してるNPO法人では運行維持のための寄付を募っているのでシンボルがいつまでも走るよう願いを込めて3千円を寄付。お礼として当時走ってた電車をモチーフにしたストラップをもらいました。

それでは1円電車に乗車。身長170㎝の私が乗るとかなり窮屈で向かいにも乗れば人同士が密着する狭さ。線路は150mで乗車時間は1分ですが当時は5.75㎞を30分近くかけて走ってました。しかも人を乗せた当初は鉱石の載った貨車に人がそのまま乗ったそう…。

ちなみに明延の人にとっては当時姫路に出る最短ルートでもあり明神電車とバスを乗り継いで播但線の新井(にい)駅にたどり着くまで1時間。八鹿にバスで出るよりも早かったのです。

1円電車は独特の音もあり線路を走るたび「キキキキ…」と鳴り響き明延の方たちにとってはこの音で当時の記憶がよみがえるそう。

1円電車近くでは当時採れた鉱石を使った採掘体験もあったのでやってみました。錫だけでなく銅も採れたそうで送電のためには欠かせません。固いですが意外と簡単に砕けました。

明延ではかつて働いてた鉱山跡を見学できるので申し込み。ヘルメットを着けて案内のガイドさんと一緒にシャトルバスに乗って出発。

鉱山の内部はこのようになっていて上部に空間ができています。この空間で採れた鉱石が下部に流れてトロッコに積まれて運ばれて行きました。坑道内部は10℃前後で長袖を着たほうがいいですが当時の私は半袖(笑)

これは鉱石を採掘するために使われたオフセットストッパー。圧縮空気で動きますが振動がすごく重さは40㎏近くあるのでとても重労働。振動障がいになる労働者が多かったですが重労働と引き換えに待遇は普通のサラリーマンの2倍はあったそうです。

資源を大切に使いましょう

ガイドさんからこのようなメッセージがありました。鉱石は無限にあるわけではなくいつかは尽きてしまうもの。当時採れた銅は送電線、錫は基盤のはんだ付けにも使われる重要な資源でなくなれば生活に影響が出てしまいます。自分にできることは何かを考えるいいきっかけになりました。

坑道見学の後は外にあった鉄道車両を見学。これが当時の鉱石運搬に用いられてた電気機関車と貨車で小さくコンパクト。

昼食は広場近くで販売してた穴子寿司。さらにかわいい親子が作ってた唐揚げも食べましたがとても美味しかったです!

昼食後は明延鉱山周辺を見学。当時の活気ある頃が再現されていて途中明石高専の学生が無料でやっているカフェがあったので立ち寄ってみました。

ここは当時鉱山で働いてた人のための北星長屋社宅。中では当時の生活の写真が展示されていました。最盛期には人口4000人、小学校に700人以上の児童がいて近くには娯楽のための劇場もあって「リトル東京」と呼ばれていました。山奥に一つの都市があったとは何回も驚き。

明延(12:50)→八鹿駅(13:43) 全但バス

3時間ほど滞在した明延を後に去ります。鉱山閉山の時は働いてた人たちが一気にバスで抜けていったそうですが仕事が無くなってさみしかったんだと思います…。1円電車というシンボルがいなければ明延は本当に人のいない町になっていました。いつまでもシンボルが続きますように…。

豊岡(14:38)→(15:15)出石(15:52)→養父市役所口(16:25) 全但バス

その後八鹿から列車で移動して豊岡からバスで出石へ向かい武家屋敷を見学。養父市役所近くでスーパーに立ち寄り夕食の買い出しをしました。

全但バスの出石営業所近くにはお菓子屋さんがあったので糖分補給で立ち寄り。

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この記事を書いた人

埼玉県在住の乗り鉄です。2011年から日本の鉄道完全乗車を目指し、2022年に只見線で達成しました!ほかにも飛行機に乗るようになってJGCを取得、旅の移動は公共交通を利用します。

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