鉄道の思い出 いろいろあり決意した高校2年 (2011年4月~2012年3月)

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目次

1 全線完乗を決意した高校2年

日本の鉄道全線乗ろう!

音楽部をさぼりまくって辞めた2011年に4月に私はこのように決意しました。日本中の鉄道総延長は20000km以上、制覇にはものすごい労力がかかりますが乗り鉄としての目標全線完全乗車を決意した次第です。

まず乗るべき路線は関東近郊ですがJRは網の目のように張り巡らされています。さらに大手の私鉄が9社もあり特に東武鉄道は栃木、群馬にも広がっていて463.3kmとかなり長い。関東地方だけでも本当に目がまわりそうなくらいでした。

当時駅名標を撮影するということに夢中になり関東のほぼ全域のホーム上に降りてみようとなりました。しかしお金のない高校生で小遣いもわずかでした。一日乗車券も活用していましたがない鉄道会社もあり一駅一駅降りていたらお金ががかかります。東京地下鉄はかなりの数があるため早朝から深夜まで電車に乗りっぱなしの日もありました。眠かったですがそんなことは気になりませんでした。

ある日都内某所でSuicaで始発駅から終着駅まで乗ってそのまま折り返してしまいました。そして改札を出ようとしたとき引っかかり窓口に行きました。すると駅員から一言

改札に入ってから時間がたってるけど何してたの!?

驚いた様子で聞かれ折り返して乗ってしまいましたと正直に話しました。

電車が好きなのはわかるけどそれだったらきちんとお金を払って乗らないとだめだよ!

まさしくその通りでした。お金がないがゆえに数百円を浮かす不正乗車を犯してしまったのです。正規の運賃をその場で支払って謝罪をしました。これ以降不正乗車は絶対にしないと誓いました。

乗りつぶすうえで特に苦労したのが神奈川と千葉が思ったより多かったことです。どちらも短く小規模な路線が入り混じっており乗り継ぎにはかなり苦労しました。1年ほどかかって関東の大手私鉄は乗りつぶすことができました。

2 ボーイスカウトで使ったムーンライト信州

この当時ボーイスカウトに入っていた私は夏になるとキャンプとして新潟に毎年行っていました。自然の中で料理したり、釣りをするのはとても最高でした。この年は本格的な登山として長野県の白馬岳にリーダーの方と2人で登ることになりました。

2011年8月3日

利用手段のムーンライト信州は23時54分に新宿駅を出発して白馬駅に5時40分に到着します。青春18きっぷを使うので日付が変わって最初に停車する立川駅までのきっぷを別に買いました。車内は乗り鉄よりも白馬岳をはじめとする日本アルプスの登山をする方で混雑していました。

翌日は穂高、信濃大町など途中の駅で次々と降りて終点の白馬には定刻で到着しました。駅からはバスに乗車して登山口まで行きその日は途中にある山小屋で一泊しました。

翌日は白馬岳登頂を果たし絶景を眺めた後に下山をして再び東側に、目的地は新潟県の平岩駅です。県道505号の木地屋川に沿って歩きましたが登山用のリュックにかなりの装備を詰めていて肩が痛くなり疲れた疲れたと何回も言っていました。リーダーは頑張れと声をかけてくれましたが足もしんどかったため少し休むことに。その近くに建物らしきものがあり地元の方がいたのでリーダーが話してみました。すると車で平岩駅近くまで送ってくれることになりました。

平岩駅に到着して送ってくれた方に感謝の言葉を伝えました。本当に助かりましたし地元の方の温かさに疲れてた私は泣きそうでした。平岩駅からは青春18きっぷを使って始発の糸魚川行に乗車しましたが私とリーダー以外は糸魚川まで乗車はありませんでした。乗り鉄の私はワンマン列車の整理券をコレクション目的で勝手にとってリーダーに注意されました(笑)整理券はお客さまの数を計る目的もあって不正ができる可能性もあるのでやってはいけなかったと今では反省しています。糸魚川からは北陸本線を直江津まで進んでほくほく線で六日町まで進んでキャンプ地である八海山麓まで進みました。この年のキャンプは少し特別な体験ができたと実感できました。

3 ながらで運命の出会い!?

2011年8月16日

ムーンライトながらで旅をすることになり今回は東海地方を訪れることになりました。東京駅から乗車をしましたがここでちょっとしたハプニング。

すみません、ここ私の席なんですが…

母親と娘さんの親子二人組が私に声をかけてきました。きっぷを確認すると私が席がずれていて謝りつつ改めて正しい席に座り直しました。出発後に母親らしい方からどこまで行くんですか?と聞かれて鈍行で岐阜周辺を回りますと伝えました。相手の方は関西方面まで乗り継ぐと言われてったのでそこで乗り継ぎについて自分の持ってた時刻表でいろいろ提案をしたりしてたらいつの間に話が弾みました。

娘と話してみる?

離れて座っていた娘さんと話すことに。相手も私と同じ高校生ということもあり自分のゲームを見せたり最近の話題やらなんやらで寝ることを忘れてました。これだけ女性としっかり話したのは私も初めてでした。

ずーと起きてて2時45分に浜松駅に到着してここで26分の長時間停車。列車をいったん降りて一緒に散歩したり列車を撮影したりしてなんだか友達のように接していました。ふつう眠いですがこれだけ楽しいと寝るのを忘れるほどでした。名古屋周辺に差し掛かった時にメールアドレスを交換しました。実はこの時に少し一目ぼれ?のような感情になっていました。

列車は5時43分に岐阜駅に到着してメールアドレスを交換した女性とお別れして見送りました。その後は名鉄線に乗るために名鉄岐阜駅に移動して列車を撮影。名古屋本線で名鉄名古屋駅まで進んで金山駅で30分ほど夢中で列車を撮影した後新安城より名鉄西尾線、名鉄蒲郡線に乗車。当時蒲郡線が赤字で廃線の危機と聞いたので乗りつぶすことを決めました。

蒲郡から豊橋まで東海道本線に乗り豊橋から飯田線に乗って列車の終点上諏訪まで約7時間の乗車。豊橋から辰野駅まで94の駅がありカーブをうねうねしながら進んでいきました。加えて駅の間がローカル線にしては短くノロノロしながら停車を繰り返しちょっとイライラ(笑)車掌さんは駅に着くたびに全力ダッシュ。乗るのは大変ですが職員はもっと大変なんだなあと実感しました。

飯田線の車内の食事はこの飯田線秘境駅弁当一つだけ。列車に揺られながら食べるのは至福の時間ですが食べた後は眠くなり乗車時間が長く景色も山しか見えずだんだん飽きてきてゲームをしてました。

飯田線の超長い列車に乗った後は中央本線を各駅停車で乗り継いで帰宅は23時を過ぎました。同時に知り合った女性にメールで報告してその後も連絡を取り合いました。ある日こんなメッセージを送りました。

好きになっちゃった

メールで告白をして人生初の彼女!?となり、お願いして一度だけ葛西臨海公園でデートしました。その後は自然と別れてしまいましたが今でもこのながら号での出会いは一生忘れることはありません。

4 日本海リベンジ

2012年1月5日

郵便局の年末年始アルバイトを10日間ほど勤めた後、私は青春18きっぷで関西方面に行くことにしました。今回の目的地は和歌山県。ホテルに泊まるほどではなく高校生だったので往復ムーンライトながら号を利用することにしました。青春18きっぷシーズンとあって満席となりいざ出発。かと思ったら車内は意外と空席あり、そのまま放置したかもしれません。

名古屋駅で降りて関西本線で亀山、加茂と乗り継ぎ奈良から和歌山行きに乗って終点まで3時間の乗車です。車両はかつて常磐線各駅停車で走ってた103系を改造したもので首都圏で活躍してた車両に会えて興奮(笑)和歌山線は高田駅を過ぎるとのどかになって桜で有名な吉野に行く近鉄吉野線と世界遺産高野山へ行く南海高野線を見てガタゴトと進んでいきます。

和歌山からは日根野経由で関西空港まで乗車して南海電鉄に乗りました。南海は古い車両が当時多くて写真の車両は都会では珍しい片開き式のドア!高野線には50年近く走っている車両を見たりと面白い私鉄でした。

なんばまで乗って大阪市営地下鉄で梅田駅まで乗り寝台特急日本海号を撮影しました。2010年の夏にここで撮影する予定が私のミスできちんと撮影できなかったですかリベンジできました!3月に定期運行が終わることもあり規制のロープが張られて撮り鉄が多くいました。乗ることは最後まで叶わず…

その日のうちにムーンライトながらに乗って東京到着後は中央本線で小淵沢に。小海線乗車して車内で「高原野菜とカツの弁当」を味わいました。サクサクのフライとシャキシャキの野菜は美味でデザートには長野特産のリンゴも味わいました。小諸からはしなの鉄道経由で軽井沢を通って路線バスで横川駅に向かいましたがそこにD51の姿がありました。「SL新春碓氷」号として走り折り返しの準備中でした。

当時の関西地方は古い車両が多く物を長く大切に使う文化が根付いてると感じた旅でありました。

2011年度に乗った主な路線
南武線 鶴見線 大糸線 小海線 東海道本線 飯田線 中央本線 関西本線 桜井線 和歌山線 阪和線 関東大手私鉄(東武 西武 京王 京成 京急 東急 小田急 相鉄) 東京、横浜の地下鉄 名鉄名古屋本線 西尾線 蒲郡線 南海本線 etc…

2011年度の主なできごと
・友人につられて遊戯王カードをやるが全然わからなかった
・高校の文化祭で早飲み大会に出場し2ℓのお茶を飲むがステージ上で吐く、保健室に運ばれてその後文化祭のPVでも私が運ばれる姿が映る
・自転車で通学してたところパンクして竹林に自分の自転車を捨てる

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この記事を書いた人

埼玉県在住の乗り鉄です。2011年から日本の鉄道完全乗車を目指し、2022年に只見線で達成しました!ほかにも飛行機に乗るようになってJGCを取得、旅の移動は公共交通を利用します。

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