鉄道の思い出 人生の分岐点高校3年生 (2012年4月から2013年3月)

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目次

1 就職は鉄道会社志望

車両センター公開時に撮影

高校3年生になって進路を考える時期になりました。将来の夢は電車の運転士でしたがなぜか中学ころ車両に興味を持ちました。工業高校に進みインターンシップで鉄道会社を訪問したこともあり車両整備を志すことを決意、都内の大手私鉄に希望を出しました。

8月になって課題研究でロボット制作に携わる合間を縫って職場見学で車両工場を訪れたのち、申し込みして試験を受けられることになりました。その前に面接練習をたくさんしてきましたが話すのが苦手な私は見事にボロボロ(笑)だめだしされながらも練習を繰り返し、試験対策も行いました。

2012年9月中旬、都内の本社を訪れてこの日は筆記試験。最初のクレペリン検査はCDで案内が流れたのち15分の計算を休憩を挟み2回行います。始めの合図で鉛筆を走らせる音が響き、だんだんと手が痛くなってくる。手汗が出て用紙が少しにじむ、まさしく己との戦いです。検査結果は性格が出るので変えようとするのは不可能。一般常識も問題なく進み午前中で終了して数日後に電話で面接の案内がきました。

雨の日の9月下旬、本命の面接と健康診断のため再び訪問して緊張は最高。名前を呼ばれて面接室の前まで来ました。ノックして中に入ると面接官が4人、着席をしていよいよ個人面接がスタート。志望動機、高校で頑張ったことを答え面接は順調に進んでいきました。一人が質問してる間もほかの3人に見られていて緊張気味。途中では

あなたは〇〇の何がいいんですか?(〇〇は社名)

予想もしなかった質問でその場で答えを作りましたが相手の感触はイマイチなまま20分の個人面接は無事終了。「お疲れさまでした」と面接官にお辞儀をされて会場を後にしました。その後の健康診断は問題なく進みすべての試験が終了。数日後試験結果が来て結果は…

不合格

紙にはこの3文字だけが書かれてました。少しがっかりしましたが2社目をすぐに探しました。その会社は大手私鉄のグループ会社で鉄道をはじめとする電気工事をメインとする会社でした。当時何としてでも鉄道関係に就きたいという思いがあって受験することになりました。

10月のある日に試験を受け1社目と同じ内容の試験を実施。1人の枠に私を含めて8人が集まり熾烈な戦いになりました。集団面接は一気に4人が受け神経が擦れました。そして数日後に試験結果がNTTの電報で来ました。

サイヨウニナイテイス

驚きました。まさか内定するとは思ってもなく親や担任の先生はすごいと私をほめてくれました。この年は高卒の就職が厳しい年でどうなるかと思いましたが一安心。車両関係ではありませんが鉄道関係の職業に就くことができ夢はかなった?ようなものです。

2 父との二人旅

2012年12月29日

就職が無事内定した私はこの冬に山形の父の実家に就職の報告と年越し目的で青春18きっぷ旅に。その前に北陸でローカル線乗りつぶし、東海地方を回ってからムーンライトえちごで新潟、磐越西線経由で米沢に入りました。滞在したあと米沢から青森に父と二人で鈍行で行くことになりました。

2013年1月4日

出発の日、雪の中を奥羽本線を乗り継いでいく工程で青森を目指します。出発時米沢駅まで親戚の方が見送りがてら車で送ってくました。米沢駅を出発して山形駅で新庄行に乗り継ぎお昼ごろに新庄駅に到着しました。新庄からは秋田までは2時間は以上の列車乗車で車両はご覧の通り雪化粧。ドアは半自動のため車内の保温は保たれてましたがドアが開くと外の冷気が一気に流れ込み景色も真っ白でした。山形と秋田の県境付近は列車が少ないので一本逃すと工程が2時間以上遅れてしまいます。

15時40分ごろに秋田駅に到着しましたが雪が積もりすぎて線路がどこにあるのかわからず落っこちそうでした(笑)寒い中でしたが列車撮影をひたすら撮影した後再び列車で青森駅まで行きました。道中は部活帰りの学生で混雑していました。

20時20分。米沢駅から10時間以上乗車して青森駅に到着、と同時に奥羽本線を全線乗りました。この当時ホームには青森と函館を結ぶ「白鳥」が停まっていました。この日は青森駅近くのビジネスホテルに父と宿泊しました。

2013年1月5日

朝6時に起きた後埼玉まで鈍行で帰るため、荷物の準備をしてましたがここでアクシデント。

青春18きっぷがない!

きっぷがないのです。父親と一緒に荷物を全部取り出して確認しますがありません。きっぷを買い直すほどのお金もなく列車の時間まで30分を切っていました。逃したら鈍行だけで帰ることは不可能になって新幹線を利用する羽目になってしまいます。イライラは最高潮でけんか寸前になろうとしたその時手帳の間からきっぷが出現!一安心しました。チェックアウトをしてすぐに雪の中青森駅まで直行。

7時台の列車に乗って東北を南下していきます。列車に乗って約1時間半揺られて八戸駅到着。乗り換えて11時過ぎに岩手の中心地盛岡駅に到着しました。盛岡から八戸間はもともと東北本線でしたが東北新幹線開業に伴って第三セクターになりました。

青春18きっぷはJR線限定ですが特例で青森から野辺地、八戸を通過利用する場合は利用できます。なお八戸盛岡間は利用できないので運賃を別途支払います。北海道東日本パス(後述)は利用できます
八戸~盛岡の運賃(2022年現在) 青い森とIGR線利用 3110円(110分) 新幹線 4090円(28分)

盛岡駅11時30分ごろ出発の列車から再び青春18きっぷを使って東北本線を南下します。途中一ノ関、小牛田、仙台、福島、黒磯、宇都宮で乗り換え、ケツの痛みとの戦いです(笑)一ノ関ではNARUTOのコスプレをした乗客がいて黒磯まで同じ工程でした!東京に近づくにつれて席取り合戦が激しくなり福島と黒磯の間では向かいに座っていた見知らぬ女性となぜか世間話。19時23分に黒磯に到着して地元を走る宇都宮線に乗り換え22時頃に地元の浦和に到着しました。朝7時ごろに青森を出発して乗車は15時間近く、各駅停車旅の醍醐味を辛くも味わうことができました。私は楽しかったですが父親はうんざりだと言っていました(笑)

3 卒業旅行で人生初の北海道

2013年に入ると運転免許取得のため教習所に通いだし、実技に奮闘して車の運転免許を取得。翌日に大宮工業高校を卒業しました。4月に就職を控える前に「北海道東日本パス」という7日間乗り放題のフリーパスを使って人生初の北海道に出かけることになりました。

2013年3月16日

この日は2005年から自分の地元で進んでいた浦和駅の高架化工事が完了して湘南新宿ラインが新たに停まりました。そこから青森駅までひたすら各駅停車を乗り継いでいきます。埼玉から青森までの乗り継ぎを再びやることになってケツの痛みとの戦い(笑)1日当たり約1430円で移動できるとは驚き!

急行はまなす 青森(22:42)→札幌(6:07)

冬の青森駅に着いて22時20分ごろに急行はまなす号が入線。カーペット席を利用します。車内に入った後JR北海道の車掌が検札にきて22時42分に青森駅をゆっくりと出発。周囲はすぐに寝る方、食事をとる方など過ごし方はいろいろ。私は青函トンネルに入るのを見届けで寝ました。足を伸ばして横になれるのでとても快適でした。初めての北の大地に私の心はおどる…

2013年3月17日

「ご乗車ありがとうございます 札幌、札幌です」

定刻で札幌に到着して北の大地に初めて降り立ちました。吐く息は白く辺りは真っ白、子供の時本で見た北海道の列車が目の前にある。見た瞬間にうきうきしてきました。札幌から滝川駅まで普通列車で移動して前日に青森で購入したパンをほおばって北の大地を駆け抜けます。

滝川駅に到着後に乗車したのは根室本線の釧路行。この列車は滝川から釧路までの308.4kmを8時間以上かけて走り当時「日本一長い距離を走る普通列車」として有名でした。車両は朱色の懐かしい色でナンバーは777とラッキー。1両編成で出発して富良野駅で前に1両増結して2両になりました。新得駅手前では狩勝峠という難所を通りました。古瀬駅では行き違いのために停車してホームに降り立ちましたが木でできた手作り感漂うプラットホーム。国鉄時代は信号場だったのが1987年の民営化とともに駅になりました。

列車の運賃表示器はご覧のようにびっしり。すごい列車に乗ったんだなあと実感し18時前に釧路駅到着して実に8時間以上の乗車!ここでホテルにチェックインするところですが根室本線は根室まで続いてるので駅弁を買って根室まで夜の乗車。釧路に戻るころには23時を過ぎました(笑)

2013年3月18日

釧路駅からは釧網本線と石北本線を乗り継いでこの日は旭川まで。快速しれとこ号で広く何もない釧路湿原を駆け抜け知床斜里から網走まではオホーツク海を横に眺める、本州にはない車窓ですっかり北海道の虜(笑)12時過ぎに網走駅に到着して5分で次の遠軽行に乗車しました。金華駅(現在は信号場)で撮影しましたが周囲は何もありませんでした。

網走から乗車した車両がそのまま旭川行となって遠軽駅を16時頃に出発。旭川方面に行く普通列車は1日1本!逃したらすべての予定が台無し。北海道は楽しいと同時に恐ろしい場所でもあることを知りました。列車の発着が1日2本の上白滝駅を過ぎてスキージャンプの高梨選手の地元上川駅で30分以上の待ち合わせ。20時過ぎに目的地の旭川駅に到着しました。

2013年3月19日

この日は稚内まで宗谷本線で6時間近くの大移動。音威子府を過ぎてから民家や人はなく周囲は林や鹿ばかり。写真のような広い雪原をひたすら進んで行くのみでぼーっとして我を忘れてました。抜海~南稚内間(冒頭の画像)は利尻島が見える絶景ポイントですが曇りで見えませんでした。なお稚内といえば宗谷岬ですが時間がなかったので周辺で昼食を食べて散策しただけで14時過ぎの列車で旭川へ戻りました。帰りも普通列車でだんだん飽きてきてPSPの桃太郎電鉄で日本一周してました(笑)

2013年3月20日

翌日は旭川から滝川まで乗車したのち札沼線に乗るため新十津川駅まで寒い中を歩きました。周辺を歩く中でポツンと小さな駅舎がありました。札沼線は札幌と石狩沼田を結びますが新十津川と石狩沼田の間は1972年に廃止。新十津川と石狩当別を結ぶ列車は自分の乗った9時41分発を含めて3本。出発するときは近隣の空知中央病院の保育所の子供たちが手を振って見送ってくれました。秘境駅とは言われても周辺は生活感があって必要とされているなあと感じました。北海道医療大学で乗り換えて札幌に到着しました。その後北海道医療大学から新十津川の間は2020年5月7日に廃止となりましたが実際はコロナ渦の影響で4月17日が最終運行。乗れたのはよかったですが寂しい終わり方になって残念。

札幌駅に着いてからは「札幌らーめん共和国」で名物の味噌ラーメンをすすって札幌の地下鉄乗りつぶし、札幌駅で列車撮影に夢中になって22時発のはまなす号で北海道に別れを告げました。利用したのはドリームカーの座席ですが函館駅で進行方向が変わった後は青森までなかなか眠ることができませんでした。でも楽しかったよ北海道。

5時40分に列車は定刻で青森駅に入線。自分のデジカメで撮影してたところあることに気づいた…

スマホがない!

ポケットに入れたはずのスマホがないのです。「回送として車庫に入ります」とアナウンスがあり急いで自分が座っていたところを見ると窓際にスマホ発見!手に取って客車を降りました。ああよかった…

その日は五能線と男鹿線を乗りつぶして酒田に泊まって翌日父の実家の米沢に向かいました。米沢では初の北海道の土産話に花を咲かせて埼玉へ帰宅。北海道の自然の雄大さに思いを惹かれました。と同時に未熟さを思い知らされました。

1.きっぷや携帯電話などの貴重品は肌身離さず持つか、カバンのわかりやすいところにしまう。
2.列車を降りる前に周辺を確認して振り返る。
3.列車などの時刻は前日にしっかりと確認して乗車中も気にすること。

1月と3月に東北と北海道を旅して得られたことは重要です。北海道に限らず列車、バスが少ない場所では遅れが致命的となります。

旅行から帰宅した数日後、私は母と一緒に引っ越し17年住んださいたま市を離れました。4月から新社会人になるため、さあこれからどうなることか…

2012年度に乗った主な路線
奥羽本線 津軽海峡線 函館本線 室蘭本線 千歳線 根室本線 釧網本線 石北本線 宗谷本線 札沼線 五能線 羽越本線 陸羽西線 氷見線 城端線 高山本線 青い森鉄道 IGRいわて銀河鉄道 札幌市営地下鉄 etc…

2012年度の主な出来事
・就職試験のネタ欲しさに保健委員長になる。なおちゃんと仕事したのは4月だけ
・課題研究でロボット制作に取り組むが休日よく遅刻していた
・釣り部の合宿で河口湖に行きボートを使ってたが途中でパドルが壊れる
・一日寝坊して遅刻、高校入学から続いてた皆勤賞が途切れる
・高校で自分の使っていたPSPがなくなる

2013.1.4 秋田駅

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この記事を書いた人

埼玉県在住の乗り鉄です。2011年から日本の鉄道完全乗車を目指し、2022年に只見線で達成しました!ほかにも飛行機に乗るようになってJGCを取得、旅の移動は公共交通を利用します。

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