鉄道の思い出 2021② 日本縦断!沖縄北海道10日間の旅

旅の思い出 2021①はこちらから

目次

1日目~2日目 沖縄の洗礼

今回の旅の最大の目的は一人旅で泊まることのなかった沖縄県と沖縄都市モノレールの訪問。沖縄都市モノレールは2019年に延伸開業したので延伸を待って念願の乗車!

2021年6月28日

羽田空港(7:05)→那覇空港(9:45)SNA025便

前日に空港近くのカプセルホテルに宿泊したうえで送迎を受けて出発。ソラシドエアを初めて利用して高校修学旅行以来の沖縄県へ。機内は禁煙のはずなのに電子タバコを化粧室で吸ってる方が…!

沖縄県に着いたときはかなりの湿気で少し驚き。

那覇バスターミナル(10:35)→赤道十字路(11:31)沖縄バス

空港から路線バスで那覇バスターミナルまで乗車してこの日向かうのはうるま市の海中道路。今回はバスのフリーパスを使って急行バスに乗車しましたがなんだか沖縄のバスはスピードがゆっくりに感じました。そしてなによりも渋滞が激しく遅れがどんどん拡大。

バスは20分以上遅れて乗り換えのバス停に着いて乗り換え。しかし今度は遠回りのバスに乗ってしまいあわてており正しいバスに乗り直し。沖縄は鉄道がモノレールしかないので初めて聞く地名はどこが何なのかわからない…。

海中道路に着いたもののここから乗り換えるバスに間に合わなかったので徒歩で道路を散策。昼食は適当にそばを摂取。まだ梅雨明けではなく道路散策中に突然のスコール!強風だったので傘の骨が一部歪んでしまいました。アマゾンで購入した2000円の丈夫な折り畳みなのに。沖縄の雨、恐るべし!

その後那覇方面にバスで戻ったのですがここでも道路渋滞で30分遅れ。時刻表はあてにならず大雨の中なんとかてだこ浦西駅に到着。

てだこ浦西(18:19)→県庁前(18:45)沖縄都市モノレール

ここで念願の沖縄都市モノレール。2両編成のかわいらしいモノレールで県庁前まで乗車。沖縄の鉄道は戦前は軽便鉄道が発達してましたが地上戦で破壊されてしまいました。モノレール開業は軽便鉄道が復活したといえます!県庁前のスーパーで食料を購入してホテルで一泊。

2021年6月29日

県庁前→那覇空港 那覇都市モノレール

翌日、大雨警報が出る中朝食を済ませてホテルをチェックアウト。那覇空港までモノレールに乗車して沖縄県の鉄道制覇!那覇空港は日本最西端の駅。

直後には一駅隣の日本最南端の駅赤嶺駅も訪問。土砂降りの中必死の撮影。

那覇空港(11:35)→石垣空港(12:35)SNA041便

大雨警報で飛行機が止まってもおかしくない状態で石垣島へ向けて離陸。道中激しい揺れで死を覚悟しましたが飛行機は安全な乗り物。気流を乗り越えて時間がたつと眼下には宮古島!思わず涙が出てCAさんも絶賛するほどの景色。

無事石垣島に初上陸。梅雨明けだったのでとてもいい天気!昼食は空港内でタコライス。

石垣港(15:30)→波照間港(16:50)安栄観光ぱいじま

石垣島から今日の宿泊地波照間島まで高速船で向かいます。船が出航後とても激しく揺れて酔い止めを飲んでなかった私はぐったり。いつ爆発してもおかしくなかった(笑)

波照間島の港では各宿がお迎えに来てましたが私は送迎がなかったので自分で宿まで向かうことに。

今回止まったのは民宿「やどかり」。素泊まり3000円でおばあが一人で経営してます。なお波照間島の宿を予約するにあたって事前に3軒電話しましたがいずれも満室でNG。到着して宿の案内をしたのはすでに泊まってた宿泊客!

宿にはコインランドリーやシャワーがありエアコンは100円を入れる有料方式。鍵なんてものはありません!おばあは象徴なので宿泊客同士で協力してるような雰囲気でした。

宿の自転車を借りて向かったのは日本最南端の碑。本来は東京都の沖ノ鳥島ですが一般人がいけるのはここまで。ここから先は日本ではなくフィリピン。

宿で夕食を食べてそのあとは宿名物のゆんたく。私を含めて4名で楽しくおしゃべり。一人旅の男性といろんな島で働きながら旅するカップルの方でいろんな生き方があるんだなあと衝撃を受けました。一人が煙草を吸ってましたが葉っぱに紙を巻き付ける手作り!見たことない美しい星空に出会えて濃度の高い夜でした!

3日目~4日目 八重山は痛い!

2021年6月30日

翌日、朝食を食べながらおばあと会話をしてチェックアウト。ニシ浜に向かって波照間ブルーと言われる美しい海を見ましたが10年分の嫌なことがこの景色を見て全部吹っ飛びました(笑)

波照間港(9:50)→石垣港(11:10)安栄観光ぱいじま

短かった波照間滞在を終えて船に乗船。石垣波照間航路は一日3往復ありますが海上が時化るため2便以降は欠航になることもあります。島から出るのであればお早めに!

昼食はA&Wにてハンバーガー。アメリカに本社があるチェーン店で日本では沖縄県にしか店がありません。飲み物はアメリカ生まれのルートビアフロートでコーラと味が少し似てる。

昼食後は石垣島の路線バス東運輸のフリーパスを購入して観光。24時間有効なので翌日空港へ行く方はおすすめ。

路線バスで向かったのは川平湾。海は透き通っていてきれい!しかしここで気づいた…。

肌が痛い!

今日の天気は晴れていて紫外線がすごいのに日焼け止めを塗ってなかったのだ。日焼けで肌がひりひりと痛み出しました!

「南星スーパー」で夕食を調達してホテルへ直行。ゴーヤーチャンプルやじゅーしーなどをいただき飲み物も沖縄三昧。飲み物として川平湾近くで購入した「高嶺酒造所」の泡盛かびら(180ml)をいろんな飲み物とブレンド。25度の酒なのでそのままだとかなり来る(笑) そしてそのまま就寝。

2021年7月1日

次の日チェックアウトして石垣空港行のバスまで時間があるので散策していると面白い石碑がありました。石垣島は東京、大阪よりもフィリピンが近く台湾まで270㎞でほぼ海外(笑)稚内まで2820㎞とは…。

石垣空港(10:00)→与那国空港(10:30)RAC741便

石垣空港からは初利用の琉球エアコミューターに乗って日本最西端、与那国島へ。飛行機は小ぶりで金持ちのプライベートジェットみたい。

わずか30分の飛行ながら外の景色は絶景!青い海に私は涙が出て感動しました。

与那国島に着陸してここから役場のある集落まで2.7㎞の徒歩。周囲に何もなく一人さみしく歩いていると…。

送っていきましょうか?

なんと車を止めて運転してた女性が私に声をかけてきました。お言葉に甘えて乗せてもらいましたがここを歩く人はほとんどいないとのこと。しかもこの日は暑いので紫外線が尋常ではありません。本当にありがとうございました!

役場付近で昼食でお弁当を食べた後は与那国町営バスに乗って「比川」のバス停で下車。テレビで見たことあるような、と思いますがここは志木那島診療所。あのドクターコトー診療所のロケ地で主役が乗っていた自転車や室内も当時のまま。病室から見る海はきれいで思わず自分の家にしたいほど(笑)

その後はバスが2時間なく私は民宿がある久部良の集落まで4.5㎞の徒歩、バイクに乗ったおじいに大丈夫か!?と声をかけられたものの大丈夫、歩くのが好きだから!青い空に自然が残るこの景色は頭がクリアになります!

近くの民宿「てぃだん」にチェックイン。その後訪れたかった日本最西端の地へ直行。石垣島よりも台湾が近いこの地は当時海外に行きづらかった状況の中ほぼ海外みたいに錯覚しました。

7月ということもあって時刻は19時26分でもまだこの明るさ。首都圏はもう真っ暗なのに…。夕食は当時飲食店が営業自粛してることもあって近くの商店でお弁当を購入しました。明日は早いので日本最西端の地でシャワーを浴びてすぐ就寝。

5日目~6日目 日本縦断3000㎞!

2021年7月2日

久良部駐在所(7:57)→与那国空港(8:09) 与那国町営バス

おはようございます。本日向かうのは

北海道

日本最西端の地からかなりの大移動。まず乗車するのは与那国町営バスで空港まで。お客さまは私含めて3人。

与那国空港(9:00)→石垣空港(9:30) RAC742便

与那国島からはまず石垣島まで。琉球エアコミューターの飛行機で飛び立ち島が離れていくときに思わず涙。

わずか30分のフライトで石垣島に戻り人生初の飛行機乗り継ぎ。早めの昼食は地元の高校生考案のお弁当。地元の食材は美味しくあっという間に平らげてしまいました。

石垣空港(11:05)→那覇空港(12:10)JTA608便

第3走者は日本トランスオーシャン航空の那覇行き。3日前は大雨と激揺れの中泣きましたがこの時はいい天気で落ち着いたフライトでした!

那覇空港(13:00)→羽田空港(15:40)JAL908便

那覇空港にてこの日2度目の乗り継ぎ。機体は最新型のエアバスでこの日の移動の中で最も長い2時間40分。少しばかりの疲れが出てきて道中はすやすや…。

羽田空港に着陸してここで3度目の乗り継ぎですが次の航空会社はスカイマーク。ターミナル内をかなり歩いてスカイマークの乗り場が近づいたところでカウンター近くで航空券を発券しなければいけないことに気づいて慌てて出場して保安検査やり直し!

羽田空港(16:55)→新千歳空港(18:30)SKY723便

何とか間に合ってこの日4度目の飛行機。飛んで飛んで飛んで北上を続けて新千歳に着くころには夕方。

新千歳空港(18:42)→(18:45)南千歳(18:55)→苫小牧(19:13)

新千歳空港では12分の中で乗り換えをしなければ目的地にたどり着けずタクシー使用が確定。どうなるかと思いましたがなんとか間に合いあらかじめ購入してた「北海道フリーパス」を使ってJR北海道の鉄道に。沖縄の時間がゆっくり流れてたためか列車が速いことに驚き(笑)

苫小牧(19:16)→鵡川(19:46)

苫小牧で日高本線に乗り換え。日高本線はかつて様似まで路線があったものの2015年の高波被害から長期運休。復活することなく2021年4月1日で鵡川から様似が廃線となってしまいました。

鵡川(20:16)→静内(21:45)道南バス

鵡川から先は廃線となったので代替の路線バスが日高を結んでいます。夕食は鵡川駅近くのセイコーマートで調達してバス待ちの間で完食。この日最後の移動は路線バスで私以外に女性1名が終点の静内まで乗車。静内のビジネスホテルにチェックインして一日の最大の移動距離約3000㎞!。いやあ、疲れた…。

2021年7月3日

ホテルで起床して朝食を食べてると支度中のスタッフからどこから来たのと聞かれて沖縄と答えるとちょっと驚いた様子。バスまでは時間があったので周辺を散策してると廃線になった日高本線の線路を発見。6年以上列車が走ってなかったものの見ただけでは廃線とわからずむこうから列車が来るんじゃないかと思いました。ちなみに日高本線は一度も乗車は叶いませんでした(泣)

静内(10:15)→様似(12:32) JR北海道バス

北海道フリーパスを使ってここから再び旧日高本線の旅。JR北海道バスを使って日高の地を駆け抜けきれいな海と馬の生産地ということで馬が見えたりと北海道らしい景色が広がってました。

日高本線の終点様似駅に到着、とはいうものの列車はもう来ません。駅舎内には現役当時の写真が飾られていてここで乗った気分になりきり。

様似(12:45)→えりも岬(13:40)JR北海道バス

ここから再びバスに乗車してえりも岬へ。森進一の歌にも出てきたえりもは岬以外何も無く海の音だけが響き渡る。昼食に海鮮丼を食べて近くにある風の館で強風を体験。えりもは年間を通じて強風が吹くことが多く風力発電が盛ん。

岬の先端まで行きましたが景色は絶大!水平線が美しい。しかし強風で肌寒い!

えりも岬(15:10)→広尾(16:10)JR北海道バス

えりもからかつての国鉄広尾線の始発駅広尾まで乗車します。かつては様似と広尾が鉄道で結ばれる計画がありましたがそれは叶わず。もし鉄道で結ばれてたら日高本線の廃線の考えも変わっていたのかな?すこし考えてしまいました。

広尾(16:22)→帯広(18:45)十勝バス

ここからは十勝バスに乗り換えて2時間以上のバス旅。路線はひたすらまっすぐでハンドルを動かさず少しずれたときに修正する感じで運転してました。途中には一時ブームとなった幸福駅と愛国駅を通過。

帯広(20:17)→釧路(21:59) おおぞら9号

帯広に着いて夕食は駅構内で販売してた豚丼。帯広駅でおおぞら号に乗り換えて今晩宿泊する釧路まで向かいます。翌日は5時台の列車に乗るので釧路に着いたら早く寝たいのになんと鹿とアタックして急停車。10数分止まったのちに運転再開したものの寝る時間が短くなってしまいました。釧路で高校卒業旅行で泊まったのと同じホテルにチェックインしてそのままおやすみなさい。

7日目~8日目 雄大な自然に感動

2021年7月4日

釧路(5:35)→根室(8:00) 快速はなさき

5時に起床して釧路駅から根室本線の始発に乗車。前回は2013年3月に真っ暗闇の夜を往復したので今回は日の上ってるうちに改めて乗車をしてみることに。休日で地元の方より私のような旅人が多い印象がありました。

車窓には湿原が広がっていました。夜に乗った時には見られなかった北海道らしい景色がそこには広がってました。

根室(8:20)→納沙布岬(9:04) 根室交通バス

終点の根室からはさらに東へ路線バスで。日本最東端の地納沙布岬へ根室交通のフリーパスを購入して44分揺られます。

「返せ北方領土」

一般人がいける最東端の地納沙布岬ですがここから先には日本固有の北方領土があります。しかしロシアによる占拠が続いていまだ解決に至らず。両国同士の交流が前からあるので仲良くしてほしいと思う自分でした。

東根室(11:06)→厚床(11:50)

その後これも2013年は訪問できなかった日本最東端の駅東根室駅に行きました。納沙布岬からのバスを「月ヶ岡分岐点」バス停で降りて900mほど歩きました。終点の根室駅はここから西よりになるので日本最東端の有人駅となります。撮影したのち厚床まで1両の気動車に揺られます。

厚床(13:00)→中標津(14:20) 根室交通バス

厚床駅に着いたものの飲食店はなくセイコーマートで買い出し。何もない公園で昼食を食べて中標津行の路線バスに乗車。私以外に2人旅人が乗ってましたが10分程度で降りてその後終点まで貸し切り状態。この路線はかつての国鉄標津線を転換したものですが鉄道の面影は厚床駅以外はありません…。

中標津に到着して2回目の昼食!?という名のおやつで「あら陣」にてしまエビラーメンを食しました。海老の風味が広がってスープも飲み干し!

中標津(15:50)→羅臼(17:20) 阿寒バス

中標津からは釧路からやってきた釧路羅臼線の大型バスで終点の羅臼まで乗車。この路線は釧路から羅臼まで3時間以上のロングラン運用でかなり長い!羅臼に到着後は2㎞歩いて「らうす第一ホテル」にチェックイン。温泉を満喫しました。

周辺に夕食を食べられるところがないので今回は2食付きにしましたがこのボリューム!これ以外にイクラ丼とビーフシチューまで出てきて満腹(笑)

2021年7月5日

羅臼(9:10)→知床自然センター(9:53) 阿寒バス

翌日、朝風呂と朝食を満喫して知床峠をバスで横断。バスは4か月ほどの期間限定運行で冬季は道路が全面通行止めとなるため貴重なバス。この日は曇ってたので景色はいまいち…。

知床自然センターではヒグマに関連する映画を見て自然との共生を学びました。ヒグマに餌をやるのは厳禁なので昼食はセンター内のレストランでサンドイッチを食べました。

しかも近くの散策路でヒグマを目撃したとの情報があって立入禁止に。本当に北海道はクマとの距離が近い…。その後知床五湖に向かうバスの車内からも2頭のヒグマを発見。

知床五湖に到着して湖を散策。散策中にエゾシカも見つけました!

知床五湖(14:00)→知床斜里(15:20) 斜里バス

知床を満喫して知床斜里駅まで戻ります。運賃はPayPay決済が可能。

網走(17:25)→遠軽(19:16)オホーツク4号

知床斜里駅から普通列車に乗車して網走駅で特急に乗り換え。遠軽駅で降りたのちにラーメン屋「生ちゃん」にて醤油ラーメン。味はとても懐かしいような。

遠軽(21:21)→紋別(22:46) 北紋バス

そろそろホテルに、という時間ですがまだ移動は終わりません。近くのコープで明日の朝食を購入して遠軽から紋別行の最終バスに乗ります。最初の方は地元の方が数名乗ってたもののその後は貸し切り状態。真っ暗で何も見えない北の大地をひたすら駆け抜けて着いた頃には眠気はMAX。すぐにベットに入りました。

9日目~10日目 旅は最北端を経由して

2021年7月6日

紋別(6:59)→雄武(8:16) 北紋バス

おはようございます。ホテル内で朝風呂を満喫して路線バスでオホーツク海をひたすら北上。朝なので通勤客が数人。

バスで走っているといかにも鉄道が走っていたような橋を発見。昨日通った遠軽から興部(おこっぺ)経由で名寄まで国鉄名寄本線が走ってましたが1989年5月に廃線となりました。さらに途中の渚滑(しょこつ)からは国鉄渚滑線もありましたが1985年4月に廃線。北海道はかつて鉄道が多くあったんですね…。

雄武(8:40)→枝幸(9:50) 宗谷バス

興部から雄武(おむ)まではかつての興浜南線(こうひんなんせん)を転換。雄武から枝幸(えさし)までは鉄道建設が進んでましたが中止。今あるのは1日2本のバスのみ。

道路はますっぐで北海道らしい。写真右の空き地はもしかして列車が走る予定だったのかな?終点が近づくにつれて少しずつお客さまが増えて少し地元の方の会話があって盛り上がり。地元の病院に行く方のようで公共交通の大切さを感じました。

枝幸(9:55)→浜頓別(10:40) 宗谷バス

枝幸から浜頓別までは国鉄興浜北線(こうひんほくせん)が転換されてできたバス。浜頓別に到着して昼食を食べようにも飲食店はどこもやってません。

この辺でごはん食べられるところはないですか?

ツーリング中の男性がこのように聞いてきましたがわかりませんでした。ご期待に添えられずすいません…。

結局はセイコーマートのお弁当。北海道でオレンジの店をみたらもう入るしかありません(笑)

浜頓別(12:59)→稚内(15:47) 宗谷バス

浜頓別からはかつての天北線を転換した路線バスで3時間近くのバス旅。乗車券は窓口でPayPay決済で購入しました。

長距離を走るため途中の鬼志別で休憩。かつての天北線を思わせる駅名板や運賃表がありました。天北線は鬼志別から内陸を進んで南稚内で宗谷本線と合流してましたが現在の路線バスは宗谷岬を経由して稚内まで行きます。

日本最北端の宗谷岬が見えて路線バスも10人近くのお客さまが乗って一番の混雑となりました。私は宗谷岬については2020年の最長片道切符で訪問したので今回はスルー。

稚内(17:44)→幌延(18:39) 宗谷号

稚内で2時間近く周囲をうろついてました。その後札幌までの最終便、宗谷号に乗って今晩の宿泊地幌延へ。

泊まるのは幌延駅から歩いて30秒の民宿サロベツ。ここは幌延駅の構内食堂として1950年に営業したのが始まりで現在は工事関係者の下宿先をメインに民宿が建ってました(もちろん観光客も歓迎!)当時の雰囲気としては建設会社の寮のようでした。

夕食はボリューム満点。チキン南蛮に新鮮な刺身、汁物と飽きさせない味でした。

2021年7月7日

幌延(6:30)→深川(10:31) 沿岸バス

おはようございます。この日は旧国鉄の羽幌線を路線バスでひたすら南下していく旅。朝食が早い時間に食べられたこともあって6時半の路線バスに乗れました。このバスは留萌を経由して旭川までの217㎞を結ぶ「幌延留萌旭川線」。一つの車両で運行される路線バスととしては日本一!(このバスは2021年9月30日に廃止、留萌で乗り換えが必要に)

天塩(てしお)を過ぎると右手には日本海。通る道路は「オロロンライン」と呼ばれています。

沿岸バスの拠点である羽幌に到着。バスターミナルにはかつての羽幌駅跡地に作られました。羽幌線は炭鉱でとれた石炭や特産のニシンを運ぶ路線として機能してましたが産業の衰退と自家用車の普及に伴って1987年に廃線。

道路の右手には空き地がちらほら見えてました。

深川(10:49)→札幌(11:55)ライラック18号

留萌からは運転士が交代して留萌本線と並走して深川駅で下車しました。特急で札幌駅に午前中に到着して味噌ラーメンを味わいました。札幌周辺を散歩したのちは新千歳からスカイマークでまっすぐ帰りました。

今回は沖縄と北海道を訪問しましたが沖縄は戦時中に鉄道が無くなったことによって道路が唯一の交通手段。モノレールはあるものの道路渋滞が激しく路線バスは遅れが当たり前であることを感じました。一方北海道内各地には鉄道の痕跡がよく見れば残っており産業の発展に鉄道は不可欠だったことを感じました。今は過疎化で路線バスは衰退の一方ですがこれからも公共交通を守ってほしいと思った9泊10日の旅でした。

長くなりましたがご覧くださりありがとうございました。次で鉄道の思い出に関する投稿は最後にします。

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この記事を書いた人

埼玉県在住の乗り鉄です。2011年から日本の鉄道完全乗車を目指し、2022年に只見線で達成しました!ほかにも飛行機に乗るようになってJGCを取得、旅の移動は公共交通を利用します。

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